高圧的なファシリテーターって、どうよ?
ふと見上げた、日が落ちたばかりのソラには卵のような楕円形をした月がひときわ輝きを放っていた…。
今日は学部の「協働コーディネーター/ファシリテーター」という特別講義(セミナー)に行ってきた。二日連続で行われ、その両日出席すると、学部独自の資格が取得できるというもの。『無料』といううたい文句で参加したのに、テキスト代1000円って、どうよ?
講義はとあるNPO団体の方が、国際開発学部に合うように特別講座を企画・実施してくれたものである。しかし、何十回とワークショップを体験し、実際にワークショップを企画・実施したことのあるボクにとっては退屈でたまらないものだった。
何度もワークショップを体験して、実践してきたため、素直にワークショップを楽しめなくなっている自分がいる。ワークショップの狙いを先読みして「この後はコウ来る!」と予想できる自分がいる。そして、ファシリテーターの手際の悪さばかりが目に付く自分がいる。これって…、どうよ?
しかも、ファシリテーター(講師)の人がなんとも高圧的。さも「私が一番えらいのよ」と言わんばかり。「グループ分けするから早く前の方にきなさい」とか、休憩終わりに少し遅れてきた学生に「もう休憩時間終わりましたよ。そこでまってなさい」などなど。
それと同時に、自分もこんな風に思われているワークショップをやっていたのかと思うと、やり場のない胸糞悪さが残った。
なんか、こ〜う。言葉で表現できないくらいの苛立ちを覚える講義だった。明日は朝10時から4時までみっちりやるという話。やってらんねぇ〜。でも1000円払ったわけだし〜。あぁぁ、胸糞わりぃけど…、これってどうよ?
「胸糞わりぃ〜」
っと独り言をつぶやいたら、偶然見知らぬ人に聞かれてしまうという失態。ホントに胸糞わりぃ〜。
講義終了後、気分転換に研究会の会室へ。しばらく漫画を読んで怒りをしずめた。一冊読み終わるころ、ソラは暗くなりはじめ、そして月を見た。
月明かりか電灯の光なのかわからないが、大学の建物が白く浮き上がっているように感じた。その建物には無数にペンキを塗りなおした跡がある。数ヶ月前、その塗り替えられたペンキの箇所にはセメント色の筋がはしっていた。それは建物のひび割れの修復跡だった。
拓殖大学八王子キャンパスは山を切り開き、平らにした上に校舎が建造されている。山を削りとり、その削り取った土で切り取った山を平らに整地した場所が建物の基礎部分となっている。しかし、整地した大地は元の山の大地に比べゆるく、校舎はその硬い地盤とゆるい地盤の上に立てられる。地震などにより、硬さの違う大地にズレが生じ、校舎に刻々とダメージを与えていく。その傷がひびとなってあらわれているのだ。
大地震が起きたら、バラバラに崩れ落ちそうな校舎。そんな淡い光に包まれた校舎を、自分の姿と重ねてみた。しっかりとした土台もなく、ただ見かけだけは一人前に国際協力を学んでいる自分。付け焼刃の知識やセミナーなどで培ったおぼろな自信は身を守る術にはならず、ただ現実という名の風雨に侵食されている。その傷を必死に隠し、ただ強がっているだけ。
大きく揺らいでいる。あやふやなボクの信念は今にも崩壊しそうだ。それくらい、現実は容赦なく襲い掛かってくる。