カンボジア人の目線で作られた映画『シアター・プノンペン(The Last Reel)』
カンボジア映画『シアター・プノンペン(The Last Reel)』の試写会に参加してきました。
カンボジアの映画と聞くと、『キリング・フィールド』や『地雷を踏んだらサヨウナラ』などを連想される方も多いのではないでしょうか。カンボジアを語る上で避けては通れないと言えるクメール・ルージュによる歴史上最悪と言われる同じ民族同士による虐殺をテーマにした映画は少なくありません。クメール・ルージュによる過酷を極めた"実情"を伝えることを目的とした作品が多い中、『シアター・プノンペン』は当時起きたことよりも、その爪痕や人々に与えた影響について伝える作品になっています。
私自身、カンボジア映画=悲惨、というイメージを持っていましたが、『シアター・プノンペン』はそんなイメージを、いい意味で覆してくれました。
『シアター・プノンペン』の特徴
映画『シアター・プノンペン』のストーリーや内容について詳しくは割愛しますが、フライヤーや公式サイトには美しいカンボジアの女性と風景が使われているのも特徴ですね。
カンボジアの首都プノンペンに暮す女子大生ソポンは、ある日、映画館で1970年代のポル・ポト政権下に作られた古い映画の存在と、そこに若き日の母が出演していたという事実を知る。しかし、母は自分が女優であったことを全く語ろうとしない。その映画をどうしても見たいと思うソボンは映画のフィルムを探し始め、ポル・ポト時代に蹂躙された母国の映画史を発掘していくことになる。
引用:映画.com
映画の作品としてのレビューは映画サイトやブログなどで紹介されていますが、私がもっとも大事だと思うポイントは「カンボジア人の目線で作られた映画」です。
カンボジア人の目線で作られた映画
カンボジアをテーマにした映画は多数ありますが、その多くが海外で制作されています。ちなみに、カンボジアの映画を紹介するページで取り上げられてい映画6作品は、なんとすべてがカンボジア以外の国が制作した作品です。
カンボジアでは、クメール・ルージュによる弾圧で国民の4分の1が殺害されただけでなく、文化や芸術も破壊されてきた背景があります。『シアター・プノンペン』の作中でも、カンボジアでは過去のフィルムがほとんど残っていないことが語られます。
実は、5月24日の試写会上映後、来日中の監督ソト・クォーリーカーさんが駆けつけてくれて、映画に込めた想いについて語ってくださいました。
「映画の登場人物たちは、カンボジアのどこにでもいる人たちです。今、カンボジアにはクメール・ルージュを経験した世代と、それを知らない世代がいます。この映画の主人公と母親は、私と私の母でもあります」と、監督自身の経験と照らし合わせて、映画を作られたことを紹介してくれました。「シアター・プノンペン」も、今のカンボジアを、カンボジア人自身の目線から伝えるために作られたそうです。
歴史は過去のものではなく、今も残っている
カンボジアを語る上で、クメール・ルージュの話は避けては通れない歴史の一つだと言えます。そして、カンボジア映画と聞くと、悲惨な現状を描いたイメージが強くありますが、この映画は他の作品とは少し違いました。映画を見終わった後、なんだか幸せな気持ちが沸いてきたのです。
多くのカンボジアをテーマにした映画は、その悲惨な当時の実情を描いています。それに対し『シアター・プノンペン』は、今もカンボジアが抱えている痛みと、これから先に向かって歩いていこうという未来へのメッセージが込められていうます。同時に、カンボジアの痛みは過去の物ではなく、今も続いていることを私たちに呼び掛けているように思います。
映画としても、カンボジアの美しい景色と情緒あふれる街並みは必見です。映画が進むにつれ、明らかになっていく真実には、いろいろな側面があり、いつの間にかカンボジアに引き込まれていくように感じました。そして最後は・・・・。おっと、この先はぜひ劇場で、ご自身の目でご覧ください(笑)
『シアター・プノンペン』を通じて、カンボジアに思いを馳せてくれる方が一人でも増えてくれたら、とても嬉しいです。
2017年3月、DVDも発売されました!
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