『闇の子供たち』は事実?現実?真実なのか?
江口洋介や宮崎あおい、妻夫木聡、佐藤浩市、鈴木砂羽など、人気、実力ともに日本を代表する名優が挑んだ、賛否両論を巻き起こした話題作です。
一言で言うと「超!」がつくほど「重い」し、「想い」が詰まっている作品です。
『闇の子供たち』が描いた子どもの人身売買
『闇の子供たち』は 「最悪の形態の児童労働」の一つと言われる「児童の人身売買」に焦点をあてた物語で、思わず目を背けたくなるようなシーンがたくさんあります。観ているうちに気が重くなってしまうかもしれません。
映画に描かれた幼児売春や臓器売買は、物語の舞台となったタイの隣国カンボジアやミャンマー、中国の雲南省などからの連れて来られる子どもたちをタイのマスコミも報道しています。タイと隣国の国境を訪れると、幼い子どもたちが学校にもいかず国境を越えて働いている光景を目にすることも。
『闇の子供たち』は当初「ノンフィクション」とPRされていましたが、不正な心臓移植をタイ国内で法的にはできないことなどが指摘され、宣伝素材から「ノンフィクション」の文字が削られたそうです。しかし、すべてが「フィクション」かと言われると、そうではありません。子どもが売られること、子どもが「商業的性的搾取」の被害にあっていることは、現実にある問題です。
監督・キャスト・主題歌
『闇の子供たち』は、『亡国のイージス』などを手掛けた阪本順治監督が映画化し、主題歌は桑田佳祐さんの「現代東京奇譚」。桑田さん自身が本作に共感し、この作品のために書き下ろした楽曲です。キャストもこの企画に賛同した人気と実力を兼ね備えた名優ばかりです。
児童売買春や臓器密売という問題が描かれているため、脚本化、映像化には細心の注意を払われたそうです。
ちなみに、物語の舞台となったタイでは、映画の上映は禁止されました。「タイのイメージダウンに繋がる」とか「観光産業に影響が出る」「撮影許可を得ていなかったからではないか?」などの理由が言われています。
あらすじと登場人物
舞台はタイの北部山岳地帯。
貧困のため、子どもたちが市場の野菜と同じ感覚で売られていきます。
子どもたちは売春宿に売られ、虐待や暴力を受け、欧米や日本からやってくる児童性愛者の相手をさせられます。劣悪な環境の中、病気になればゴミ同然に捨てられてしまう現実。
タイ在住の新聞記者・南部(江口洋介)がNGOの女性職員・音羽(宮崎あおい)やフリーカメラマンの与田(妻夫木聡)の協力を得て取材を行っていくというストーリー。
人間の心の弱さ、醜いところ、迷い、正義、純真、そして無力感。 物語を通して、さまざまな人間の一面を描いています。
NGOの女性職員・音羽(宮崎あおい)が働く社会福祉センターは、タイ・バンコクに実在するクロントイ・スラムにある設定になっています。そして、彼女は劇中「ボランティア」と表記されることが多く、感情的でヒステリックに描かれている傾向があります。
語弊がないようお伝えすると、実際のNGO職員がすべてが、感情的に自分自身の想いだけで行動しているわけではありません。映画では、闇に対し、人が心の中で思っているであろう「正義」もしくは「善」にあたる部分を強調させる存在として描かれているように感じます。。
『闇の子供たち』が投げかけるメッセージ
小説・映画で描かれた出来事は、日本人にとって決して無関係な「他人事(ひとごと)」ではなく、善か悪かで割り切れる単純な問題でもありません。
考え方によっては「必要悪」ともいえる「闇」の部分に対し、仕方なくすがるしかない人を責めることができるのでしょうか。「闇」に対し、どう向き合っていくべきか、というメッセージを投げかけているように思います。
「闇の子供たち」は、アジア・タイを舞台にしていますが、資本主義で自由を手に入れた富裕層と呼ばれる人々が、金の力で加害者となる醜い姿と心の闇が映し出されます。
国際協力とは、NGOの活動とは、途上国の子どもの現状と、それを取り巻く社会との繋がりについて、考えるきっかけになるはずです。
読み終えた、観終わった直後は、気持ちがもやもやとしていまうかもしれませんが、もし、物語の登場人物と同じ立場だとしたら、自分はどんなことができるか、どのような気持ちになるのか、ぜひ考えつつ作品と向き合ってもらいたいです。
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