浦和レッズ横断幕問題から考えるマイノリティへの意識

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2014年3月9に行われたJリーグ「浦和レッズ対サガン鳥栖」戦のスタジアムで”JAPANESE ONLY”という横断幕が掲示された問題。

Jリーグ史上初の無観客試合や横断幕・旗の禁止、トラブルを起こしたサポーターの無期限入場禁止など、重たい措置が取られました。これほどの措置が取られたことは、「あってはならないこと」だと誰もが気づいているからだと思います。

措置の内容や浦和レッズの対応などは、多くの方が言及されているので、改めて言及はいたしません。ですが、問題の横断幕を”掲示した理由“に、正当性も公平性もないことは見過ごせないと思います。

今回の問題に対して浦和レッズが開いた会見の様子がツイートされたうちの一つに、横断幕の掲示理由が書かれていました。

「(横断幕を張った人物の主張)ゴール裏は聖地、自分たちでやっていきたい。他の人達は入ってきてほしくな
いという意図があった。最近は海外のお客さんも来て統制が取れなくなる、という話を聞いている」渕田社長 (浦和レッズへの制裁と現地会見ツイートまとめ「最近は海外のお客さんも来て統制が取れなくなる」←完全に真っ黒じゃないですかより)

「応援の統制が取れなくなる」って、自分のことしか考えていないだけじゃないか。そのメッセージを掲げることで、誰かに嫌な思いをさせてしまうかもしれないって、思わなかったのか。自分たちだけが楽しめればそれで良い、という意識から生まれた自分勝手な理由ですよね。

多くの方は、人種差別はいけないと頭では理解しているはずです。しかし、頭では理解していても普段から実践できているかと問われると、自信を持って言えないかもしれません。私も、そんな一人だからです。

自分とは異質な存在を意識することは難しい

言葉や行動には起こしていないけど、無意識のうちに「自分たちとは違う存在(異質なモノ・マイノリティ)」への差別を行っていないだろうか。

日本でこのような動きがあったのと同時期に、ロシアのソチでは「パラリンピック」が開催されています。世界最高峰の障害者スポーツ大会であるパラリンピックは、肢体不自由の身体障害者(視覚障害を含む)が対象で、聴覚障害のヒトは含まれていないんですね。(聴覚障害者は別に「デフリンピック」という大会があるそうです)

マジョリティである健常者の多くは「音が聞こえる」ことは当然であり、普段の生活では「聴覚障がい」の人たちを目で見て判断することが難しいため、意識しずらいいうれてしまっていないでしょうか。

“聞く”というコミュニケーションは定着しているのか

ネルソン・マンデラさんの追悼式典でのデタラメな手話通訳や全聾の作曲家と言っている佐村河内さんの話題が記憶に新しいところですが、「耳が聞こえない」っという状態って、想像したことありますか?

「人の話はよく聞け」とかよく言われますが、コミュニケーションの基本とも呼べる「聞く・聴く」という行為。耳が聞こえない、聞こえにくい聴覚障害者は、どのようにこのコミュニケーションを補完しているのでしょうか?

NHKのニュース番組や国会中継、政見放送などでは、手話通訳や字幕表示が定着していますが、それ以外のシーンではどうでしょうか?

難聴者にとって手話通訳や要約筆記は「生きる権利」

手話通訳要約筆記があります。

わたしも一度、学生チームの一員として活動させてもらってた開発教育協会(DEAR)のイベントで、要約筆記を手伝わせていただいたことがあります。

DEARは、聴覚障害のある方が活動に参加しはじめてから、イベントでは要約筆記を実施するのが定着しており、要約筆記のボランティアで協力したいと、希望者も多くなっているそうです。しかし、すべてのイベントで要約筆記があるわけではないのが現状です。

機関誌「開発教育」バックナンバー第59号~最新号

「DEAR主催じゃないイベントには情報保障がつかないので、聴覚障害者は参加できないということになる。開発に関わっているNGOなどからしてこういう状態だったら、一般社会はなおさら障害者が参加できないま ま進んでいくでしょう」(機関誌「開発教育」オピニオンコーナーより:PDF

自分にとってあたりまえ(聞こえること)でも、そうではない人がいる。そのことを意識できていない自分がいる。

自分とは違う人がいることを想像する力

人は物事を考えるとき、自分や身近な人、接点のある人など、自分自身が「想像できる(思い浮かべられる)人」を基準に考えがちです。

前述のDEARのイベントで映画『バレンタイン一揆』を紹介したとき、その映像を見た方からのご指摘で、ハタと気が付きました。映画『バレンタイン一揆』の舞台はガーナで、英語やチュイ語(現地の言葉)のシーンや聞こえずらい場所では字幕が入っているんですけど、出演者のセリフやナレーションには、字幕が入っていなかったのです。

映画を作るのに精一杯で、考えることができなかった。耳が聞こえない人たちに映画のメッセージを伝えるためにできることを考えることができなかった。メッセージを届けるため、技術的には可能だったはずにも関わらず。市販の映画DVDには、字幕機能のONとOFF、英語字幕や日本語字幕が選択できるのに。

「そういう配慮をするための余裕がない」とか「予算がなくて・・・」など、言い訳をすることはカンタンです。頭で理解していても、自分の都合を優先してしまう。ボクらは結構弱い生き物なんです。それでも、ほんの少しだけ意識すれば、もっと多くの人が気持よく生きられる。ほんの少し、意識するだけ。その大切さを、改めてかみしめて。

「難聴」や「映像・字幕」で検索してみたら、こんなソフトもあるようですね。
おこ助Pro of メディア・アクセス・サポートセンター

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About 召田 安宏 763 Articles
1984年生まれ。2008年より国際協力NGOの広報を担当しています。拓殖大学 国際開発学部を卒業後、一般企業を経て、NGOの世界に。世界の子どもを児童労働から守るNGO ACE(エース)を経て、2016年よりシャンティ国際ボランティアへ。広報・国内事業一筋。チョコっと世界をのぞいてみませんか?