アフガニスタン日本人拉致~「ペシャワール会」伊藤和也さんの訃報

2008年8月、アフガニスタンで人道支援活動を行う「ペシャワール会」の伊藤和也さんが拉致され、殺害された事件は、国際協力や援助関係者に与えた影響は大きい。

先日、ある分科会で 「どうして、海外の貧しい子どもは可哀想に思うのに、日本にいるホームレスのことはなんとも思わないんですか?」 っという、問題提起があがった。 たしかに、貧しい人は日本にたくさんいるのに、 世界の問題に取り組むのは、なぜか? この問いかけはこういう仕事をしていれば、想定される質問だろう。

ご存知でしょうか? 「JanJan」というニュースサイトを。 これは、一般の人が記者となり、記事を投稿できるというサイト。 もちろん、プロが書いているわけではないけど、 新鮮で率直な記事が多く見受けられる。 『もういい加減、海外NGO活動はやめませんか?―「ペシャワール会」伊藤和也さんの悲劇をくりかえさないために

 海外だけでなく、日本にも問題は山積みだ。農業問題だけをとっても、荒れた土地は多いし、食料自給率は先進国の中では壊滅的である(関連サイト)。亡くなった伊藤さんはまず日本で活動するべきだったのではないか。今の日本でなら、少なくとも銃弾に倒れることはなかっただろうし、ご両親を悲しませることもなかった。世論には今回のできごとを美談にする動きもあるが、「命を粗末にした」と私はあえて批判したい。

「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります(1981.4)」 っというマザーテレサの言葉を引用して、 熱意に対する苦言を指す記事がある。 その一方で、 『「ペシャワール会」伊藤さん殺害―アフガンは暗闇になるのか』 『「ペシャワール会」伊藤和也さんは国葬にすべき』 っという、アフガニスタンのこの先(ひいては国際協力)を懸念する声もあれば、 人類がこれから歩むべき道を指し示したとして賞賛、見習うべきとする声もある。 どれが正しくて、何が間違っているかを問うているわけではない。 さまざまな意見や主張を加味しながら、冒頭の問いに答えてみる。 『自分にできることを、全力で。』 いまはまだ、それだけしか答えられない。